気を遣うのって妻にだけで十分って話です。

雑記
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僕は結構人に気遣いしてしまいます。

会計で後ろが混んでたら小銭あるのにお札でささっと払ったり、電車で混んでくると自分の体勢が多少悪くなっても少しでもスペースを空けようとする

等々。周りの人へ配慮しがちです。

ただ、最近はこういうことするの良くないなーと感じてます。

というのも、こういう配慮をすることで「不満」や「批判」といった負の気持ちが芽生えてしまうなと気付いたからです。

気遣いで自分を追い込んでるパターン

電車でベビーカー押してるお母さんがいると自分の体勢が少し崩れてもスペースあけちゃいますよね?

でもそうすると、「お母さんってそんなに偉いの?」とか、「こっちは体勢崩してまでスペース空けてるんだからベビーカー畳むとかしろよ」とかって思っちゃいませんか?

実際こういう声ってよく聞くけど、これって元をただすと、「自分が良かれと思ってやったこと」が引き金になってると思いません?

自分を追い込むことをやめてみる

これに気付いてからは、

電車でたとえベビーカーを押すお母さんが近くにきても僕は自分の位置を変えなくなったし、たとえお年寄りが目の前にいても席を譲らなくなりました。

上に書いたことは、人によってはマナーが悪いと写るかもしれません。ただ、マナーってみんなが快適に生活するための心遣いですよね?自分が快適に過ごせる範囲を崩してまでやる必要はないよねって思います。

もちろん、人が快適に過ごしてるのを邪魔してはいけないとは思ってます。あくまで、自分の快適さを崩してまで無理して配慮しなくて良いよってこと。

こんな風に気を遣ってたことって他にもたくさんあって…

で、よくよく考えると自分にとって無理してでも配慮すべきだなって思えるのは、タイトルにある通り「妻だけで十分」って結論に達しました。

気を遣うのは愛する妻だけで十分

妻って、所詮他人だよ?それでも長い人生を共に過ごすと決めた人だよ?所詮他人なんだし、不満や批判が生まれるのは当然だよね?それでもいっしょにいたいって思うなら、気を遣うのって全然悪くないよ。

というのが僕流の考え方。

2020年は考えが変わってるかもだけど、来年も愛する妻と仲良くやってくよ。

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